常識と非常識。
これは時代によって変化してくるものかと思います。
昔と今。
昔の方たちの努力により今がある。
今を一生懸命やって未来があるはず。
なぜ決めつけるのか。
なぜに挑戦しないのか。
好きな事、楽しい事はそんなに簡単じゃない。
だから好きになれるし、楽しいだと思う。
今の常識とゆう未来の非常識に恐れず勇気をもって挑戦する釣り人でいたい。
昨日の2人の挑戦者の釣果。
藤原さんも鈴木さんも挑戦する釣り人でいるって事でしょう。
個人的にはそんな釣り人が好き(笑)
魚釣りはもちろん季節によっての釣りものがあるとゆうのは事実。
これにはいろいろな理由があるかと思います。
魚がいない問題、禁漁期間の解禁など、釣りやすい釣りにくい問題など様々かと思います。
ただラージマウスバスの様に年間を通して釣る事が可能な魚もいるのも事実。
外房のヒラマサも年間を通して狙える魚のひとつかと思う。
ただ、残念な事に世間のイメージは春と秋の2シーズン。
これはとても残念なイメージだし勿体ない事。
チャンスを自ら放している可能性も、チャンスの時を見逃している可能性も。
先日の火曜日。
私は釣れませんでしたが、ある要素がハマれば釣れだす感覚はありました。
これは現場に行かないと感じられない事。
結果を追う事だけでなく先を読む。
これも釣りの楽しみのひとつかと思います。
それを仲間で共有して釣果に結びつける。
週一釣行では情報に限界があるのは確かですが。
釣具屋があれば現場の情報は入手しやすいかと思いますので。
魚を追えないと諦めるのはまだ早いかと思います。
それが船釣りの良いところでもあるかと思いますので。
現場に通う人と言葉を交わすのか。
過去の経験で話す人と言葉を交わすのか。
ここには雲泥の差が生じるのは確かでしょう。
それに夏や冬と比べたら、春と秋の方が釣りやすいと言ったらそんな事はないかと思う。
太平洋の中でも広大なスーパーシャローエリアが続く外房、それに付け加えて真潮と逆潮の影響を大きく受けるエリア。
内水面の小さな規模の湖沼なら、ある程度のシーズナルの想像は容易にできるかもしれないが、外房の海域の楽しさは季節もあり、更に潮流があり、釣りが難しいと考える事も出来るかと思う。
そもそも、春と秋を知る為には、冬と夏を知る必要があるのは当たり前の事。
季節とは人間が勝手に数値化、文字にした目安かと思います。
自然の中の季節は毎年違うって事は釣り人の誰もが認識していることだと思います。
その季節を知るうえで唯一の指標になる物が水温かと思います。
人間にとっては気温、魚は水温です。
気体と液体。
そこでズレが生じる。
空気中と水中のズレを縮める為には。
釣りに行って自然を感じるしかないんです。
冬の終わりを知らなくては、春の訪れは分からないわけです。
夏の終わりを知らなくては、秋もわからないわけです。
それに付け加えて年間通して魚は居ます。
そうです。
現場に通う事でしか自分を高める事ができないって事だと思います。
彼を知り己を知れば百戦して殆うからず
もっともっと相手を知り、自分を知らなくてはですね。